音大受験失敗からの怒涛の3年次編入試験体験記

マインドセット
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ピアノ講師のyukaです!

私は、音大受験を失敗した経験があります。

併願していた短大部には受かったのですが、4年制にどうしても行きたかったので、不合格通知を受け取って早々3年次編入試験を目指すことにしました。

合格するつもりで周りに言いまくっていた

音大受験を失敗して、併願していた同音大の短大部に入学した私。

3年次の学部編入を決意し、入学早々

「編入試験を受けて学部に入る」

と周りに言いまくってました。
周りは、へ~そうなんだ、くらいの反応。

実技の練習時間が確保できるよう、あまり詰め込みすぎない授業の時間割を組みました。どの曜日も3限目には終わるように作りました。

教育実習は短大のうちは行かず、ちゃんと免許を取るには、編入して学部を卒業しないと取れないようにしました。

つまり、編入試験に落ちれば、短大で大学生活は終わり、教員免許も取れない、というそこそこ自分にとって厳しい環境を自分で作りました

人って、ある程度追い詰められないと頑張れないんですよ。私は無意識に自分を追い込むことで、受かるしかない状況を作り出しました。

それからどうしたかというとそりゃもう必死です。自分の練習をするために伴奏はトロンボーンの子、1人しか引き受けず、とにもかくにも自分優先!

まぁその子がすごくうまい子で、コンクールとか学内の選抜演奏などに選ばれ、いろんなホールで伴奏させてもらい、いろんな意味で忙しかったですが(笑)よい経験をさせてもらいました。

周りに宣言してるもんだから、そうなるように自然とふさわしい行動を取るんです。受かるにはどうしたらよいか?

試験曲の選曲、練習のスケジュール、自己管理の徹底、短大の2年間はものすごく真面目に過しました。でもアルバイトもしましたし、友達とも遊んだし、楽しく女子大生を楽しみましたけどね。

受かる前提の行動と思考

編入試験は卒業演奏試験の2ヶ月後。

卒業試験の曲と、編入試験の曲を同時進行で取り組んでました。

り多く課題曲を抱えていて大変でしたけど、爪から血が出るまで毎日毎日練習しました。

もう帰ろうかな・・・と思っても、他の部屋からは同じく編入試験を受ける子のピアノの音が聴こえてきて、いや。まだ練習しよう

と踏みとどまる日々。

1月の中旬には授業やテストも終わったので、編入試験がある3月中旬までひたすら毎日朝から晩まで練習室でピアノを弾いてました。

周りの同級生は卒業に向けていろいろ準備をしていたけど、私は卒業する気全くなかったので何もせず。

目の前のことに必死だったけど、合格した後のことをよく思い描いてました。
どんなアルバイトしようかな~とか、今度はしっかり授業を取りたいなとか、あの曲を弾きたいなとか。

落ちたらどうしようなんて考えてなかった。受かることしか考えてなかったです。

だから試験が近づいてもひょうひょうとしていたかな。

合格するために、いろんなことを取捨選択した

合格するために、とにかく練習時間の確保が最優先でしたので、入学当初から続けていた飲食店のアルバイトを辞めました。(バイトしてたんかい!って感じですけど)

とっても仲の良い職場だったので、みんなが卒業パーティーを開いてくれて大号泣したことを覚えてます。ちなみに当時のバイトメンバーとはFacebookでもいまだに繋がってる。

最初は恥ずかしくていらっしゃいませも言えなかったけど、このアルバイトは本当に楽しかった。

もし、編入試験がなければ辞める必要もなかった。大好きな自分の居場所だったけど、自分の未来のために卒業することを自分で決めました。

目的を叶えるのためには、こういった選択をしないといけない場合が多いです。でも、手放すからこそ入ってくる。たくさん練習時間も確保できたし、寒い季節も体調も良く、生活リズムも崩さず過せました。

実は、音大受験の前日に39℃の高熱を出した私。

音大受験が不発に終わったのは、実力不足のほかに自分の体調管理の甘さもあったことは自覚していたので、同じ失敗は2度としないと決めてました。

ちなみ就活すらもしてませんでした。落ちたら実家に戻る、ってとこまでしか考えてませんでした。

勝ち取った編入試験合格と音大生活

実技試験は課題曲を2曲。楽譜はボロボロ、譜面は書き込みでぐちゃぐちゃになってましたが、試験当日は大事に握り締めて挑みました。

緊張していたけど、本番はかなり冷静だったと思います。

いつもステージでは緊張する私だけど、このときはもう今までやってきたことに悔いはなかったので、あとはカタチにするだけだ、という次元でした。

 

合格発表は、結構早かったかな?一週間くらいだったような。

掲示板に番号が貼りだされて、私は2年越しのサクラサク、でした。

そして晴れて、音楽大学の3回生として音大生活が続くことに成ります。

親には本当に心配と迷惑をかけました。
編入ってもう1回入学金払うんです。50万くらい多く払ってもらいました。感謝です。

短大の時に修得した単位は80単位くらいでしたが、編入次に認められる単位数は62単位。

よって20単位は取り直しになるため、3年次は毎日4限までびっしり授業が詰まり、土日にアルバイトするという怒涛の1年間で、あんまり記憶がありません(笑

4回生は割りと時間割もラクになりました。今思えば4回生が1番楽しかったです。

私は音大生活はそこそこにして、バイトや友人を通して外の世界によく足を運んでました。またこのときのことは別記事で。

できれば18歳のときに音大受験を終わらせたかったけど、私はもう1度リベンジするという経験をしました。

人より遠回りだったかもしれないけど、私はこの体験は自分が成長するためのギフトだったのだと、今では心から思います。

目標に向かって強い意志を持つこと

何か壁にぶちあったたときに、このときのことを思い出すようにしなきゃな、と思います。

 

実は、受験失敗のことは自分の黒歴史で長年周りには伝えずにきました。

でもあるとき、

あんなに努力した自分を、なんで自分は恥と思っているのか。
あの時の自分があるからこそ、今があるのにね。

音大受験不合格は18歳のときの私にはなかなか辛い洗礼でしたが、編入試験を受けるまでの過程と、合格体験は、自分の糧となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント